2016年02月29日

シンポジウム「裁判所は本当に駆け込み寺?」 が動画で観れます


元裁判官で弁護士の生田暉雄さん
元朝日新聞記者でフリージャーナリストの吉竹幸則さん
MEDIA KOKUSYO管理人でフリーライターの黒薮哲哉さん
「最高裁をただす市民の会」の志岐武彦さん


上記4人の皆さんが報告をしてくれました。

 一通りの講演を聴きまして、此処まで来てしまったことに驚くとともに、誰かが糺そうとしても実現できなかった原因がありました。最高裁事務総局の人事権でしょうか?ヒラメ裁判官と揶揄されています。

 自己保身、立身出世しか考えない裁判官が増えてしまったようです。勿論、人事権を握られているために法律と良心に従った判決を出したいが出せない状況にあるのです。ですから、魚は頭から腐ると言われますが、魚ばかりではありませんでした。国家体制もまったく同じだったことが分かりました。

 これは敗戦処理もしなかった国の運命ではないでしょうか? 何もかもいい加減で済ましてきてしまったからです。戦後70年経っても未だに戦犯が一部の犠牲者で済まされており、戦後の日本統治のためにGHQに救われた戦犯や軍属のトップが政界財界の指導層に君臨してきた事実があります。

 さらに世襲制が現実に民主化を阻んでいるのではないでしょうか。
 この事実を多くの国民が知り、生田弁護士が仰るように国民の見届け権(追求権)を実行することが必要だと思います。

 詳細は動画をご覧ください。

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昨日のシンポジウム
「裁判所は本当に駆け込み寺?」 を nakamowa さんがユーチューブにアップしてくれました。

<その1>



<その2>

















3・2(水) 被害者を切り捨てるな! 全国集会


「謝れ」「償え」「保障せよ」・・・を合言葉に原発事故被害者団体連絡会「ひだんれん」主催の全国集会があります。

明後日の3月2日(水)に行われます。13:30開場、14:00開会、15:30デモ行進、16:30終了予定です。

会場は東京都日比谷野外音楽堂ですが、詳細はチラシをご覧ください。

(チラシ)
2016年3月2日 被害者を切り捨てるな! 全国集会(於:日比谷野外音楽堂)チラシ表.jpg

2016年3月2日 被害者を切り捨てるな! 全国集会(於:日比谷野外音楽堂)チラシ裏.jpg










2016年02月28日

“甘利の汚職より清原の薬”



 平和を守るためには最低限の防衛力は要ります。一方、積極的平和主義という言葉を使って、最高の軍事力を保持し、何時でも戦争が出来る国にしようとしている現政権の考え方もあります。このように憲法9条を持ち平和を維持しようとする主張と、憲法に書いてあるだけでは平和は守れないという主張がありますが、どちらの主張もそれだけを聞くと納得できてしまうから不思議なものです。

 この相違は、ベースとなる条件が異なるから折り合わないのだと思うのですが、このような考え方のズレがある限り、平和を維持するのが難しいことは確かであります。また現実に70年間、平和が続いてきたことを考えていただければ平和憲法があったからだともい言えます。そして米軍基地があったからであるとも言えます。

 ただ、この現在の矛盾する状態を綺麗さっぱりしなければ、日本の独立も日本の自主性も発揮することは出来ませんし、日本から世界の平和をリードすることなど、とても出来ることではありません。ですから在日米軍基地が無い日本にするためには、いま現在、民主主義とは何かを問うて、戦っている沖縄に連帯しなければ解決できないのではないでしょうか?

 今日もNさんから、参考となる記事が届きましたので転載します。

(転載)
2・26事件の時、新聞は、猟奇的事件阿部定事件ばかり面白おかしく報道している日本の新聞。事件の猟奇性ゆえに、後に号外も出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。2・26事件の本質をきちんと報じるべきであるのに。
今も、同じ。清原事件を追っかけて、安倍インチキ政権への批判的記事は少ない。
「甘利の汚職より清原の薬」。
馳という無恥な文部大臣は、国家予算の国立大学は君が代斉唱日の丸掲揚すべしと愚かなことを語って恥じない。
 国旗敬礼拒否問題についてアメリカで起きた。1943年の最高裁判所は。三権分立を守ろうとする良き伝統があり、アメリカの良き伝統に従い判決を下した。「強制による統一は、墓場の統一を実現するものである。」また「国旗に敬礼させる宣誓を強制する地方官憲の行為は、その権限を定めた憲法の限界を越え、理知と精神の領域に侵入している」という公正な言葉が見える。日本の最高裁判事の、権力べったりの在り方とは違い、毅然としている。

辺見庸は語る。
「『国旗及び国家に関する法律』などというものが存在するのに心底呆れ返り、いまだもって不思議でならないのである。わたしは「日の丸」「君が代」を見聞きしても、起立したり斉唱したりできない。たとえ数万人の人々がいっせいにそうしたとしても、そうしなければ逮捕されるとしても、わたしは起立も斉唱も独唱もしない。ぜったいにしない。できないのだ。なぜなら、ヒノマル・キミガヨは、どうかんがえても、私の中で、そしてニッポンというクニにとって、もっとも忌むべき(であった)表象だからである。

いま、起立してうたいたいものは歌うがいい。ただ私は立たず、断じて歌わない。かつてみた南京攻略関連のドキュメンタリーフィルム(日映製作『南京』)では、たくさんの「日の丸」がはためき、暴虐の現場から、将兵が皇居に向かい腰を90度に折って深々と「遥拝」し感激の面持ちで「君が代」を歌い、「天皇陛下万歳!」「大元帥陛下万歳!」と叫ぶのである。どうしても同じ動作を断じてできないからといって、「君が代」や「海ゆかば」に、生理的嫌悪しか感じないのかとギリギリ自分に詰問すれば、必ずしもそうではない気がする。あれらのメロディに感応するように、体内で微妙に蠕動するものがないとは言えないのである。わたくしはその微かで微妙な感覚を、ニッポン独特の、ほの暗く湿潤なファシズムとの関連で考えている。

「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国然れども言挙げぞ我がする」と詠った万葉の時代からの、容易に言挙げをせぬ秘儀的なファシズムをイメージする。それはいまも全く消滅はしていないと思うのである。

ニッポンは敗戦によっても、戦中と戦前を払拭しはしなかった。ヒノマル・キミガヨだけではない。戦前、戦中の律動と身ぶり動作、思考法、発声法はいまも各処に残っている。ニッポンジンはたぶん不注意なのではない。ただ忘れっぽいだけでもない。忘れたふりをして「むかし」を残しておく、その素振りに長けているのだ。

1943年(昭和18)年10月21日朝、明治神宮外苑競技場で、文部省・学校報告団体主催の出陣学徒壮行会(いわゆる「学徒出陣」)が東條英機首相らが出席して挙行され、雨中、関東地方大学生など7万人が参加した。このときも「君が代」が演奏され、「海ゆくかば」が歌われ、「天皇陛下万歳!」が三唱されたことは言うまでもない。そのときの音声と映像をYouTubeで視聴した読者も少なくないだろう。

どうだろう、なにか不思議なことにお気づきではなかっただろうか。着剣した小銃を肩に、悲愴な面持ちで雨に濡れトラックをザックザックと行進し、その後多数が玉砕した「学徒兵」ら。そのさいに吹奏されていた行進曲に聞きおぼえはないだろうか。そうなんだ、自衛隊や防衛大学校などの観閲式で流されている分列行進曲とおなじである。あれは大日本帝国陸軍の公式行進曲、別名「抜刀隊」だ。元々軍歌であり、「…敵の亡ぶる夫迄は、進めや進め諸共に 玉ちる剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし…」である。

1★9★3★7だけでなく、学徒出陣のさいに用いられた行進曲と自衛隊・防衛大学校の観閲式の行進曲が同じというのは、不思議どころかまことに異常ではないか、戦争の反省も何もあったものではない。あまりといえば無神経ではないのか。ニッポンの戦前・戦中・戦後には、情念の基層部において同質の律動があり、戦後70年にしてそれを変えようという気運はない。以前よりも、はるかに、はるかにない」
(辺見庸「1★9★3★7」)
 
思い出す映画のワン・シーンがある。フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」で、サーフィンが趣味のキルゴア大佐が、ただ波に乗りたいというだけの理由で、海沿いのベトナムの村にヘリから銃弾を浴びせるのだ。そして、負傷した村の子どもを前にし、ただちに病院に運べと部下に命令する。何という偽善、何という人間への冒涜であろうか。
 だが、このキルゴア大佐と、「皇軍」を支え喝采した日本人のありように大きな違いなどない。自分に視線を向け、読者も同じ地平に立たされる。そこで言葉を紡いでいく。苦しみがいかほどであったかは、想像に絶する。
「ニッポンの戦後は、少しく断定的に述べるならば、戦時の加害と被害の関係とそれらの責任の所在につき、忘れるか忘れるふりをすることにより、なりたっていたのである」

いつでも戦争をすることができるように国のかたちを変えようとしている、現在の日本に重ねてみた。そこに、不思議なほどの合致がありはしないか。「1937(征くみな)」は、過去の物語ではないのだ。

戦前と戦後は連続し、今は戦後が消えた。あたらしい戦前になった。(N)







posted by toshi at 12:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする