この23日(日曜日)の午後2時から市ヶ谷のホテルで「日本の近代建築ベスト50」出版記念シンポジウムがあり、オミクロン禍の中でしたが、大先輩の記念会でもあり、聴講に出かけました。
時間に余裕をもって出かけたため市ヶ谷駅近くの茶店で先日来、読み始めた ”大日月地神示” 後編を読むことに費やしました。

この ”神示” を ”ハナリンのみちのくLOHASライフ” ブログで知り、暫く積ん読状態でしたが、何故かそろそろ読まなくてはと思い、読み始めて、3週目になりました。これより前に出版された岡本天明の ”日月神示” も購入し読んだのですが、解りにくい内容だった印象をもっていたためごく最近になって、この神示を読み始めました。
そうするとどうしたことでしょうか、若きシャーマンかつミュージシャンの神人を通じて降ろされた神示であり、先の岡本天明の ”日月神示” の現代版なのでしょうか。非常に読みやすく書かれております。○○じゃ・・・という神様のお告げ文も声を出して読む時には、○○ですか、或は○○なのですと、現代人に聞きやすく読み替えています。
ですが、茶店では声を上げずに黙読のため読み進むのは早くとも読んだ気にならず、30分もすれば本を閉じてしまいました。声を出して読む時には、リズミカルに読めるものです。しかも同時に個人に憑いた霊人に聞かせる意味があるそうなのです。肉体は神のもの神の入れものを私たち人間は借りているのだと言います。ですから大事に使わせていただかねばなりませんというのは、至極もっともなことだと感じます。
この神示には、一昨年前から突如出てきたコロナ禍に付いてもほぼ書かれていることに驚きます。初版が2018年6月6日の出版ですから、コロナ以前の出版なのですが,人類の過ちを戒めているような内容が散りばめられていますので、読み進むのが楽しくなります。この神示が教えてくれるように私たちが御霊(みたま)磨きすれば、よりよい社会、楽しい世界になること間違いありません。
話をシンポジウムに戻すと、小川先輩の学生時代は日本社会は騒然とした時代で学業に専念する時間はほとんど無く、社会運動に関わる毎日だったこと。そして卒業し社会人の振り出しは、新建築という建築雑誌の出版社に就職したことで、建築界の大御所を直接インタビューする機会に恵まれたこと。その後、同社の別会社のA&Uに移り、更に相模書房に務めた後に、独立し南風舎(代表)を立ち上げ、多くの建築専門書を世に出したことのお話をされました。

![「立て看板」(日本の近代建築ベスト50出版記念シンポジウム)[1].jpg](https://1040362.up.seesaa.net/image/E3808CE7AB8BE381A6E79C8BE69DBFE3808DEFBC88E697A5E69CACE381AEE8BF91E4BBA3E5BBBAE7AF89E38399E382B9E38388EFBC95EFBC90E587BAE78988E8A898E5BFB5E382B7E383B3E3839DE382B8E382A6E383A0EFBC895B15D-thumbnail2.jpg)


この紙芝居風の語りで初めて知ったこともあり、”人に歴史あり” と改めて知りました。体験談では建築家には、もの凄い権力があり、稀に間違って行使している人がいると感じたこともあったと教えてくれました。そして ”建築家のことば” と ”市民のことば” には大きな隔たりがあり、往々にして建築家が市民目線で考えず、難しい表現で語ることが多く、市民の理解が進まない原因であるのではないかと具体的に語ってくれました。

また ”ことばの力” 、 ”本の力” に関する語りがありました。建築は50年から100年も経てば解体される運命にあるが、本は、半ば永遠に残り、後世に影響を与える力があるとも。出版に携わった先輩ならではの言葉であろう。その後のシンポジウムでは、小川氏と縁のある若手建築家、教授を揃えて、小川氏の一途で情熱の籠もった建築表現の方法論や教えて貰ったことについてお礼の言葉も添えた談義が続き、時間を30分も延長して語り合い、そして最後は、どんな質問にも的確に応える元教授である陣内先生の纏めで終わりました。