5月21日(土)と22日(日)に横田基地で日米友好祭があることを21日に知りました。そこで22日に急遽行ってみることにしました。以前、沖縄に行ったときのこと、オスプレイの訓練を見ないかと誘われて、伊江島まで出かけた。その頃は、墜落事故が何度か発生したことから、危険な輸送機で未亡人製造機などと揶揄されていたオスプレイだが、いつの間にか沖縄県だけでなく本土にも飛来してしまいました。

牛浜駅から歩き、横田基地第5ゲート前の交差点に午前10時57分に到着。しかしゲートに直接はいることはできません。警察官が交通整理をして、入場制限をしていたからです。仕方なく見学に来た人たちはゲート目前に、横田基地の反対側の歩道を左方向に歩いて行きます。当然、折り返し点から戻る人たちとすれ違います。

何処まで行けば、折り返し点なのかも聞かず、行列は黙々と前について歩いて行きます。折り返し点は、八高線の北の松林通り交差点でした。そこに着いた時の時刻は、午前11時46分。既に49分も経っていました。それから戻り、第五ゲートに入れた時刻は、午後1時24分でしたから、戻る時間のほうが長くかかりました。

このように長い行列ですから、並んで歩くのも鬱陶しいと思う輩もいるものです。案の定、私たちの前に割り込んできました。若い母子が二組、若い子連れの夫婦が一組、図々しいものにも程があります。沿道の店で暑さしのぎに冷たいものを摂り、一服していたのでしょう。ちゃっかり割り込んできたのです。

しかし直ぐ後ろを歩いていた若い夫婦が、彼女らに向かって、あなた方は並んでいませんでしたよね・・・と強い声を投げかけました。すると睨み付けるように、並んでいたよ!・・・と反論し、こちらに顔を向けました。若いのに可愛くないねと様子を見ていると、こんな親の子どもに産まれて、子どもが可哀想だよと、続いて後ろから非難の声を浴びせました。若い夫婦の言うとおりですが、彼女らは押し黙って、歩いているではありませんか。
気まずい思いをして反撃したい気持ちが出ることもあるでしょうが、それを抑える心が育っていない。誤った行動をしたのだから、それを攻められていること、その相手の怒りが受けいれるまでの心が育っていないのだろうと思いながら、眺めていました。叱るのは簡単ですが、自ら考えることしか解決できませんので、何処かで痛い目に遭うのではないでしょうか。叱る人を有り難く受け入れる人間になってもらいたいと思います。
確かに暑い中を行列するのは厳しいものです。しかし子ども連れと言えども、このようなルール破りは歓迎されません。むしろ行列の中に入れて貰えるような優しさが足りないのだろうと思います。自分だけの、自分たちだけの我が儘を通していきたい。我慢することができない人たちがいました。誰もが我が儘を通していたら、社会は成り立ちません。他人を思いやる気持ちが必要なのです。
だから本来なら、基地周辺で迷惑を受けている人たち、近隣住民を優先で、それ以外は予約者に限り、見物できるようにしたらと思います。混雑するのもイベントが盛り上がる一つなのかも知れませんが、要らぬトラブルが発生するまでの混雑はない方がよいです。このように忍耐できない若者が増えているとすれば、基地問題だけで無く、社会不安が増すのではないかと思います。
オスプレイ飛行の反対運動なども気にせず、政府は米国の戦略を受け入れ、軍事戦略に協力していくばかり。戦争など懲り懲りだという日本国民の民意を聞くどころか、隣国の度々のミサイル発射実験や、中国のGDP増大に伴う軍事費拡大と最新兵器の導入などを見据え、これを脅威だと煽り、軍事力の増強を図っていくのです。

現に軍拡競争が激しくなってきました。かつて不況業種の象徴だった重厚長大企業は、今、この世の春を楽しんでいるのではないでしょうか。あれよあれよと民意が疎んじられ、独裁政治が実現していく様な様相です。国会議員は何のために存在するのか? 国民の生命財産を守り、平和を維持するために存在するのでしょう。それならばウクライナ侵攻を進めたプーチンにウクライナ侵攻を止めるように説得することが必須なのに、何故か西側と称して、ウクライナに兵器を提供している。
この軍事関連企業の利益を今か今かと待っていたような匂いがします。犠牲者は戦場となっているウクライナ国民。国土も生命も犠牲となるのです。大量破壊兵器を使わず、通常兵器でポイントを狙う。知る人ぞ知る何か目的があってのプーチンのウクライナ侵攻なのであろう。情報戦と言われる中で、どちらもフェイクニュースを流しており、何が本当のことかわからないようにしている。それなのに一方に支援することがプランデミックと言われるコロナ騒ぎと重なってみえます。これまでの戦争の歴史が証明しています。ほとんどの戦争は金儲けのために仕掛けられたものでした。いつも犠牲者は戦場になった国の一般国民・・・。