2015年11月28日

愚かな政治を許しているのは私たち



植草一秀氏の『知られざる真実』ブログの昨日27日の記事
 「愚かな国民が愚かな政治を作る現実を見つめよう」 で、
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-41cb.html

愚かな政治を作ってきた原因が、
日本人の国民性にあることをズバリ指摘しています。

日本の政治がいつも煮え切らない状況で終わっているのは、
私たちの責任だったのです。

終戦直後にも戦争責任追及はGHQの手に委ねられました。
国民自ら戦争責任を追及して来なかったのです。
政治家だけの責任ではなかったのです。

本来、戦争で被害を蒙った国民が追及すべきだったのですが、
これが出来なかった別の原因があったのです。

実際に戦争に反対した人が少なからず、居たのですが、
その人たちを非国民扱いにして、非難、虐待した中には、
権力に阿った普通の国民もいました。

権力、体制に寄りかかる自立できない国民がいたのです。

それは権力者には真に都合がいいのですが、
是では独裁国家と何処が違うのでしょうか?

これでは北朝鮮を非難するどころではありません。

植草一秀氏は、
「日本が変わるには、日本の主権者が変わる必要がある。」と、
私たち主権者の責任と義務を明らかにしてくれます。

しかも社会の公平性、公正性、真の民主主義を求めて、
行動してきた人たちが、もうだめだ!
・・・と諦めてしまうことは、
既得権益層にとっては、願ってもないことです。

不公正の誹りを受けても、既得権益を死守していくことが、
権力者側の意図するところですから、
簡単に諦めてしまうことは、勿論、ご法度です。

たった一回の選挙で変わるほど政権交代は、
簡単なことではありません。

ですから政権交代して、真の民主主義を勝ち取るまで、
数度の選挙を経ても、勝ち取るまでやり抜くしかないのです。

反省を忘れた国民は、奴隷に甘んじなくてはなりませんが、
植草一秀さんは、権力者ばかりではなく、
よくぞ私たち国民の弱さも指摘してくれたと思います。

植草一秀さんの『知られざる真実』ブログを
是非、お読みください。

(転載)
日本が変わるには、日本の主権者が変わる必要がある。
第2次大戦で日本は敗戦した。
皇国の国から民主主義の国に変わった。
戦争を推進していた人々は教科書を黒塗りにして民主主義を唱え始めた。
戦争責任者の責任が問われることになったが、戦争責任は曖昧に処理された。
国民は、基本的には戦争指導者によって騙された存在ということにされたが、
国民の責任も問われることはなかった。
戦争推進に加担した勢力のうち、
もっとも強い影響力を発揮したのはメディアだったが、
メディアもその責任を明らかにすることはなかった。
しかし、あの戦争中にも、
戦争推進に抗った人々が、少なからず存在した。
しかし、その、正しかった人々を虐げ、
攻撃したのは、戦争指導者だけではなかったはずだ。
一般の国民も、そのような少数者を虐待し、攻撃したのである。
過去を振り返り、本当の意味での誤りを見つめ、
その誤りがどのように表れたのかを吟味することなく、
真の反省はあり得ない。
反省は行われず、当然のことながら、責任の処理も行われない。
一般国民は、単に「騙されていた」ということにされて、
免罪されてきたのである。
だから、その体質はいまも、何ひとつ変わっていない。
人々は、常に、権力の側に我が身を置こうとする。
権力から睨まれる存在にはなりたくないのだ。
誰が何を言っているのか、誰が何をどのように考えているのかを、
真剣に考えることを忌避する。
ものを考えるのではなく、ただひたすら、
安全に見える場所に我が身を置こうとする。
それだけのことである。
まれに、ものごとを考える人がいる。
ものごとを考え、発言し、行動する人がいる。
そのときに、そのような少数派の人々の言葉、
行動をよく知ろうとはぜず、ただ単に、
権力に歯向かう危険な存在であると認識して、
関わることを拒絶する。
このような人々が、
大半を占めてしまっているのではないだろうか。
(以降、略)