本日午後、村井実氏が私のもとを訪ねてくれました。
上尾駅に降りたのは初めてとのことでした。
村井実氏から2012年発行の著書、
“剛腕の小沢一郎、独裁の橋下徹”
を一冊頂きました。
帯に、
3・11から書き綴った論説。日本の真実が見える!
今、必要とされる国民のための政治。
剛腕でもいい!
独裁と呼ばれてもいい!
本物であれば!
とある。
著者の村井実氏が出版時期を逸したと仰った。
確かに、2012年5月28日出版であるから、
まだ、この時期に大々的に発売されていたら、
マシだったかもしれません。
しかし、今では橋下徹氏の政治手法と
小沢一郎のそれとは異なることが見えてしまいました。
小沢一郎氏の手法は不公正、不公平な既得権益層支配を、
根底から覆し真の民主主義を実現しようとするものでした。
これに対して橋下氏のそれは、
同じ破壊するにしても既得権益層を真に壊すのではなく、
形だけの破壊であり、
マスコミ受けの演技(ドラマ)にしか過ぎません。
二人を取り上げる報道ぶりを観ていると分かります。
小沢氏の場合には壊し屋というレッテルが何処かに張り付いています。
自民党を出る時にも官僚支配を排除し、天下り法人を一から見直す。
そして必要なものは選択的に残すことを宣言していました。
これが自民党にも官僚にも共に危機と観たのでしょう。
政策で論争せず、既得権益確保に走る代議士たちには、
小沢氏の政策は不都合だったのです。
このような事が重なり、
小沢氏は自民党を出ざるを得なくなったのだと思います。
しかし、小沢氏の行動を、
殆んどのマスコミは小沢氏の思い通りに行かなくて、
出ていかざるを得なかったと書きます。
ですから常に壊し屋 小沢一郎になるのです。
小沢氏が我儘な人間であると中傷記事を書くしかないのです。
このようなことから、小沢氏に関しては(本音とは違い)、
シッカリ者だという真面な評価をマスコミは流せないのです。
しかし小沢氏は、
何度叩かれても不死鳥のように立ち直っているではありませんか?
少なくとも、この現実は小沢氏の正しさの証左ではありませんか。
一方、橋下氏の場合には、
これは面白おかしく政治ドラマを見るように、
テレビ・新聞はヨイショしているのが分かります。
橋下氏の暴言・粗野なところを面白おかしく、
もっとやってほしいとばかりに報道します。
マスコミは、視聴者稼ぎに橋下氏支援の態度を貫いています。
此れでは橋下氏本人でなくとも錯覚するでしょうし、
誰でも独裁者然としてしまうのではないでしょうか。
(子育てを考えれば想像できることです)
そして正に東京×大阪として、国民同士の競争意識を狙った、
マスコミの演出に間違いないと思うのです。
この張り合うことを予想した雰囲気を醸して、
役者に橋下氏を据え視聴者受けを狙った企み通りです。
政界進出への切っ掛けが、小沢氏は政治家の父の死でした。
橋下氏のそれは、テレビ番組からでした。
この違いが、明白に二人の政治手法の違いとして出ています。
マスコミに持ち上げられない真面目な政治が必要です。
橋下氏が、地味に小沢氏の政治手腕を学び、
出直ししてくれるといいのですが、
それが出来るでしょうか?
政治家は売れればいい。
目立てばいいものではありません。
地道に国家の元である国民の福祉を支援することなのです。
そのために選良として、国会議員は存在するのです。
あくまでも私たち国民の代表者です。
それ以上のものでもないし、それ以下の存在でもありません。
著者の怒りが自分の怒りに変わるかもしれませんが、
ご興味のある方は、是非手に取ってお読みください。
特に、“はしがき” のP1〜P4の前半までに、
著者 村井氏が真の政治改革が必要な理由を述べ、
また良くも悪くも、それが実現できる政治家は、
小沢一郎だけだという強い信念が述べられています。